旧東海道34_土山-石部(1)
◆旧東海道_土山-石部
2019年6月11日(火)
土山宿から京都三条大橋までを3日間かけて歩いた。
1日目(6/11)は 土山宿-水口宿-石部宿
2日目(6/12)は 石部宿-草津宿-瀬田の唐橋
3日目(6/13)は 瀬田の唐橋-大津宿-三条大橋
休憩を含めた歩行時間は、合計で17時間13分だった。
以下、3回に分けて記録しておく。
今回は1日目の「その1」。土山宿から水口宿。
前回(5月16日)の終了地点「若王寺口(にゃくおうじぐち)バス停」を7:53に出発。ちなみに、ここに来るのには、貴生川駅前7:30発の甲賀市コミュティーバスを利用。
(1) 若王寺口バス停【7:53】
バス停は国道1号線にあるが、そこをスタートすると、すぐに国道に平行している脇道の旧街道に入る。
旧街道を歩き始めてすぐに見られた古い民家【7:56】
家の前に「旅籠 東屋 跡」という石碑があり、まだ土山宿の一部であることが分かる。前回もこうした石碑はいくつも見かけたが、同様のものはこの後数件見られた。
街道の風景【8:04】
(2)土山今宿の道標【8:11】
国道一号線との合流部分にあった。今宿は地名で、近くに今宿城があったとのこと。
国道一号線を交差して渡ると、街道はすぐに水口町(みなくちちょう)に入る。
(3)水口宿の案内表示【8:13】
水口宿の掲示された柱に描かれた「水口曳山まつり」の銅版画。
甲賀市観光絵図【8:14】
なお、甲賀市は「こうか」市であって「こうが」市ではない。
「甲賀」の発音には「こうか」と「こうが」の2通りがあり、市名決定の際に決選投票となり、その結果、従来の甲賀郡(こうかぐん)の発音を引き継いで清音の「こうか」を自治体名にしたとのこと。
(4)旧街道は再び脇道に入る。その案内道標(たぬきの置物の下)【8:16】
(5)経塚【8:18】
古民家風のカフェ「一里塚」【8:21】
(6)今在家一里塚跡【8:22】
説明書きに書かれているように復元されたもの。
(7)道標【8:23】
個人的に作られたものなのか、植木鉢に入れられているのが手作り感があってほのぼのする。
(8)高札場跡【8:27】
(9)岩神社【8:38】
参道を少し上がると鳥居があり、その奥に小さな祠があった。
(10)八幡神社【8:53】
(11)道標【8:57】
(12)松並木の説明板【9:00】
(13)水口宿の町名表示石碑「田町」【9:06】
これ以降、それぞれの町にこうした表示があった。
(14)水口宿案内板【9:08】
(15)東見附(江戸口)跡【9:09】
(16)脇本陣跡【9:13】
写真左手の民家に次の掲示板があった。
(17)本陣跡【9:14】
水口宿案内板【9:14】
(18)高札場跡【9:17】
古民家風の建物の法律事務所【9:18】
(19)問屋場跡【9:21】
「甲賀流 忍術もなか」の幟【9:21】
(20)曳山模型のからくり時計【9:26】
歩道上のタイル【9:27】
多分、甲賀市の花「ササユリ」だと思うのだが。
三筋の町のからくり人形時計【9:27】
(22)石橋【9:36】
写真右奥は近江鉄道の水口石橋駅
(23)甲賀市水口地域市民センター【9:37】
甲賀市水口地域市民センターの入口塀に掲げられた浮世絵
(24)水口城天王口跡【9:40】
水口宿説明板【9:40】
「飛出し注意」の看板【9:41】
ここに描かれているのは甲賀市のゆるキャラ「にんじゃえもん」。
(25)曳山蔵(天神町)【9:45】
(26)小坂の水口石【9:49】
ここで一旦旧東海道から外れて水口城跡に向かう。
(27)水口城跡【9:55】
(28)百間長屋跡【10:03】
(29)真徳寺表門【10:05】
(30)林口の勧進縄【10:09】
(31)一里塚跡【10:10】
(32)西見附跡【10:12】
(33)北脇縄手と松並木【10:18】
(34)火の見櫓のモニュメント【10:29】
古民家風のバス停待合室【10:29】
街並み【10:43】
(35)道標【10:48】
(36)泉一里塚【10:51】
(37)横田の渡し大常夜灯【10:53】
横田の渡し公園から見る野洲川
金比羅宮
この後は、その2に続く。
以上
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