旧東海道30_四日市-庄野
◆旧東海道_四日市-庄野
2019年5月14日(木)雨
四日市宿から土山宿までを3日間かけて歩いた。
1日目は 四日市宿-石薬師宿-庄野宿
2日目は 庄野宿-亀山宿-関宿-坂下宿
3日目は 坂下宿-土山宿
休憩を含めた歩行時間は、合計で13時間10分だった。
今回はその1日目。庄野宿まで歩いた。
前日の天気予報は「曇り」で降水確率40%だったが、見事に外れて終日雨の中のウォーキングとなった。
前回(4月4日)の終了地点(1)「すわ栄商店街の入口」を12:58に出発。
すぐに近くのコンビニのイートインで昼食を取り、そこからウォーキング開始。
街道沿いには東海道のノボリが出ていた。【13:18】
(2)鹿化川に立てられた案内板【13:28】
(3)大宮神明社【13:30】
(4)水沢(すいざわ)道標【13:30】
細い脇道を入ったところにあり、ちょっと判りにくい。
「もみじ」がりっぱになり過ぎていて、道標がまったく見えない。
ネットに出ていた画像を参考までに転載する。
(5)道標【13:44】
(6)日永一里塚跡【13:47】
(7)名残りの一本松【13:51】
(8)東海道日永郷土資料館【14:00】
日永(ひなが)は四日市宿と石薬師宿の間に立つ「間の宿」。資料館の開館は水・土・日&祝日とのことで中に入れず。
(9)日永の追分【14:02】
東海道と伊勢街道の分岐点。右が東海道。
(10)道標【14:22】
(11)「平成内部の一里塚」の表示板【14:26】
不可解な表示板だったが、後日調べたところ、平成六年に「平成の一里塚」の整備事業(歩行者やドライバーの目印にもなるポケットパークを整備)が行われたとのことで、その看板だった。つまり、旧東海道の一里塚跡とはまったく別もの。
ちなみに、内部は「うつべ」と読み、この場所の地名で、近く流れる川は内部(うつべ)川。
(12)道標【14:30】
道端で見かけた花壇【14:32】
(13)杖衝坂(つえつきざか)【14:39】
(14)芭蕉の句碑【14:40】
(15)采女(うねめ)一里塚跡説明板【14:46】
(16)采女(うねめ)一里塚跡【14:50】
前掲の説明に書かれていたように、少し離れた1号線のガソリンスタンド脇にあった。
(17)国分町の交差点【15:04】
ここから鈴鹿市に入る。左が旧東海道。右が国道一号線。
(18)道案内板【15:13】
(19)石薬師宿道標【15:19】
石薬師宿は、四日市と亀山の間が長すぎるために設けられた宿場。そのため、宿場の設置は遅く、元和2年(1616年)。
弘法大師が土中から現れた霊石に1日で薬師如来を刻み込んだと伝えられて厄除け信仰を集めていた、石薬師寺(いしやくしじ)が宿場名となった。
石薬師案内板【15:19】
(20)延命地蔵堂【15:20】
信綱かるた道
生家がある明治の歌人佐佐木信綱の歌碑があちこちに見られた。
(21)道端で見かけた民家の石薬師宿掲示【15:26】
(22)小沢本陣跡【15:27】
(23)信綱の生家【15:30】
(24)石薬師寺【15:37】
紅葉の季節には綺麗だろうなあと思わせる入口の門
(25)御曹子社(おんぞうししゃ)【15:41】
(26)石薬師の蒲(かば)ザクラ【15:42】
(27)道標【15:48】
(28)石薬師の一里塚【15:48】
しばらく民家のない田んぼの脇を進む。
(29)案内図【16:17】
庄野宿の街並み【16:19】
旧街道の雰囲気がある。
(30)庄野宿資料館(旧小林家住宅)【16:22】
(31)問屋場跡【16:23】
(32)高札場跡【16:24】
(33)庄野宿本陣跡【16:24】
本陣跡は庄野宿集会所になっていた。ここまでは、おおむね、和風の古い家並みで統一されているので、この建物はちょっと異質で場違いな感じを受ける。公共の建物だけにちょっと残念だった。
(34)庄野集会所バス停【16:25】
集会所の向かい側のバス停で、予定通り今回は終了とした。
本格的な雨の中を終日歩いたが、時折吹く風にも悩まされた。
これ以降は(31 庄野ー亀山)に記載。
以上
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