旧東海道24_赤坂-岡崎(2)
◆旧東海道_赤坂-岡崎(2/2)
2018年12月5日(水)晴れ
吉田宿(豊橋)から知立宿(池鯉鮒宿)まで3日間かけて歩いた。
2日目 赤坂宿-岡崎宿を2回に分けて掲載するが、今回はその2。
(その1はここをクリック)
(26)冠木門と岡崎二十七曲り碑【13:06】
碑は石の表面が鏡面反射して非常に読みづらい。ここから岡崎二十七曲りが始まる。
(27)岡崎城東入口の二十七曲道標【13:09】
それぞれの曲がり角にこのような道標が立っていたので、これに従って行けば問題なく通れるはず・・が、やはり途中でちょっと迷ってしまった。
道標通りにいけばいいのだが、持参した地図と細部が異なっていたこともあり、途中で地図上での自分の現在位置が分からなくなってしまい、ちょっと迷った。
確かに道標は便利なのだが、どの道も旧東海道の面影はまったくない普通の市街地の舗装路で、そこを道標の指示に従って黙々と歩くことに、ちょっと疑問を感じてしまった。
伝馬通りの石造群【13:27】
道の両側に写真のような小さな石像と説明書きがあった。全部で二十体。
(28)二十七曲りの説明碑【13:30】
(29)西本陣跡【13:31】
歩道上に埋め込まれたタイル【13:37】
(30)田中吉政の像【13:49】
(31)岡崎藩校允文(いんぶん)・允武(いんぶ)館跡【14:02】
明治2年に江戸にあった岡崎藩の藩校(允文館・允武館)をここに移したとのこと。
(32)材木町口木戸前【14:04】
(33)田町角碑【14:18】
(34)岡崎城【14:24】
二十七曲りの途中で岡崎城に立ち寄り休憩。
(35)松葉総門跡【15:16】
松葉総門とは岡崎城の西側出入口に設置された総門(外郭の正門)。番所も併置され、西から東海道を矢作橋を渡ってきた者はここで改めを受けたそうだ。
(36)八丁味噌の店舗【15:18】
(37)「右 西京 左 江戸」と記された道標【15:19】
(38)矢作橋(やはぎばし)【15:24】
慶長6年(1601年)に土橋として架けられ、その後何度も大水に流され改修を繰り返してきた。架橋が制限されていた江戸時代には日本最長の大橋だったそうだ。
(39)出合之像【15:28】
豊臣秀吉と野武士の頭の小六正勝(蜂須賀小六)が矢作橋で出会ったという逸話から作られた像。
しかし矢作橋が架けられた1601年には豊臣秀吉は既に亡くなっているため、完全な作り話。この像まで何となく偽物っぽく見えるのだが。
(40)誓願寺【15:38】
義経が浄瑠璃姫に贈った笛が安置される寺。幼稚園の奥にあり、その門が締められていたので近寄れなかった。
承安4年(1174年)、義経は奥州への旅の途中で矢作で宿をとったが、その時に聞こえてきた浄瑠璃姫の琴の音色に惹かれた義経が、持っていた笛で吹き合わせたことから、二人の間に愛が芽生えた。が、義経は間もなく奥州へ向かって旅立たねばならず、姫に形見として名笛「薄墨」を授け、矢作の里を後にした。
姫が義経を想う心は日毎に募るばかりだったが、願っても成就することのない恋に耐えきれず、悲しみのあまりついに菅生川に身を投じて短い人生を終えた。という話。
「十二段草子」などに脚色され、語り物「浄瑠璃」の起源となった。
(41)矢作橋駅前の交差点【15:40】
本日はここで終了。今日は天気がよかったが、風が強かった。
休憩も含めての本日の歩行時間は7時間10分だった。
以上
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