旧東海道14_清水-丸子

◆旧東海道_清水-丸子

2018年7月13日(金)快晴

由比から藤枝までを3日間かけて歩いたが、今回はその2日目。

猛暑注意報が出ていたので、熱中症対策として新清水駅を6時30分に出発。

歩き出すとすぐに、サッカーの町を自称する清水らしいマンホールの蓋があった。


(1)清水銀座にあった鯨のモニュメント【6:35】

(2)魚町(うおまち)稲荷神社【6:38】

途中で近くの魚町稲荷神社に立ち寄った。サッカー神社として有名で、様々な願掛けに多くの人が訪れ、清水エスパルスの選手もシーズン前の必勝祈願に訪れるそうだ。

(3)河童伝説稚児橋【6:41】

(4)江尻宿木戸跡(?)【6:46】 

無残にも道路工事の警告灯が取り付けられていた。


(5)都田吉兵衛供養塔【6:57】

(6)元追分の道標【6:58】


(7)金谷橋【6:58】

(8)久能寺観音道_道標【7:09】

(9)上原堤(宗丹池)【7:10】



(10)上原子安地蔵堂【7:14】


(11)有度(うど)の道標【7:22】

(12)草薙一里塚【7:24】

持参したガイド本には、ショッピングセンターの前にある、と記載されていたが、今は銀行の支店になっていた。地方経済の現状ということか。

(13)草薙神社大鳥居【7:37】

創建にはヤマトタケル伝説が大きく関係するとされる神社。


(14)旧東海道記念碑【8:14】

鉄道で分断された旧東海道の反対側に渡るための地下道【8:15】

通勤や通学の自転車がけっこう通っていた。

(15)古庄(ふるしょう)の道標【8:21】

(16)長沼一里塚跡【8:33】

隣がゴミの収集場所というのも・・・・

(17)静岡県護国神社【8:41】


(18)曲金(まがりかね)観音堂【9:07】

曲金は狐ヶ崎と呼ばれた地で、1200年(正治2年)1月20日に梶原景時一族と在地武士が戦った古戦場。観音堂は合戦の戦死者供養のため、1988年(昭和63年)に十一面観音を勧請して建てられたとのこと。

(19)東見附の道標【9:15】

(20)府中宿の道標【9:34】

歩道上のタイル

(21)華陽院(けよういん)【9:39】

家康の祖母の菩提寺で、家康(竹千代)もこの寺の住職(智短和尚)から学問を学んでいたとか。参勤交代の際には各大名が必ず参詣をしたそうだ。

(22)上伝馬本陣_脇本陣跡【9:45】

(23)府中宿の道標【9:45】

(24)西郷・山岡会見跡の碑【9:48】

<2022年12月16日 追記> 西郷・山岡会見について

江戸城と徳川家の処遇問題の交渉のため、勝海舟は、駿府まで来た東征軍の西郷のもとに山岡鉄舟を派遣した。山岡は駿府へ急行し、伝馬町の松崎屋源兵衛屋敷において西郷隆盛と面会した。(この碑は面会場所の松崎屋源兵衛屋敷跡)。

このとき、西郷は江戸城攻撃を中止する条件として、徳川慶喜の身柄を備前藩に預け、江戸城を明け渡し、軍艦・武器をすべて引き渡すことなど、全七カ条を山岡に提示した。

山岡は、七カ条のうち六カ条は承諾するが、慶喜を備前藩に預けるという一条だけは絶対に受けられないと拒否した。

山岡はひるがえって、もし西郷が逆の立場であり、島津公が他家預かりとされたら耐えられるかと問うたのである。

西郷は山岡の主張に理解を示した。単身敵地に乗り込んできた山岡の覚悟、そして泰然としつつも真摯な人間性に、西郷は感銘を受けたそうだ。

この交渉は、3月13日~14日の西郷・勝の会談で最終的に江戸城開城が決まるが、このときの山岡との会見は、その道筋をつける重要な一歩となった。

(25)札の辻(ふだのつじ)址【11:02】


札の辻は街道や宿場町など往来の多い場所に高札(こうさつ)を立てた道・辻のこと。
(ちなみに、札之辻という名字の人が日本には約20人いるそうだ。)


(26)弥勒の道標【11:35】

(27)安倍川の義夫の碑【11:36】


(28)安倍川橋【11:37】


(29)丸子宿(まりこしゅく)の道標【13:19】

(30)一里塚跡【13:20】

(31)丸子宿見付(みつけ)跡の道標【13:25】

見付は今でいう警備室や守衛所で、役人が宿場に出入りする人々を監視して宿場の警備を行っていた。

(32)脇本陣跡&明治天皇御小休所阯

(33)本陣跡【13:31】

(34)お七里役所跡【13:33】

前日通った由比宿にも、お七里役所跡があった。「蒲原ー清水」の(4)項。

お七里役所は、徳川御三家の一つ紀州家が、重要書類の送信のために、江戸屋敷と領国の間146里にわたって7里間隔で独自に置いた飛脚の継立所(飛脚小屋)のこと。この飛脚は幕府の継飛脚、民間の定飛脚(町飛脚)に対して、「大名飛脚」・七里飛脚」とも呼ばれる。

(35)十返舎一九膝栗毛の碑&丁子屋【13:34】

丁子屋(ちょうじや)は慶長元年(1596年)創業、江戸時代初期から400年以上続く、静岡で最古のとろろ汁の店。



丸子宿の道標【13:38】

丁子屋の向かい側。

(36)丸子橋【13:38】

(37)高札場(こうさつば)跡【13:39】

道路で見かけた消火栓の蓋

富士山、安倍川、登呂遺跡のデザインとのこと。


(38)二軒家大鈩にけんや おおだたら)不動尊入口バス停【14:00】

今回はここで終了。14:02発のバスで静岡駅に戻って宿泊した。


以上

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