旧東海道18_掛川-磐田

◆旧東海道_掛川-磐田

2018年11月1日(木)晴れ後曇り

藤枝から見附(磐田)までを3日間かけて歩いたが、今回はその3日目。

掛川宿から袋井宿を通って見附宿(磐田)まで歩いた。

(1) 西掛川駅(天竜浜名湖鉄道)【8:00】

西掛川駅を8時00分ちょうどに出発。

(2)大池一里塚跡 道標【8:06】

蓮祐寺の入口門前にあった。

(3)松並木【8:28】 

しばらく行くと旧東海道らしい松並木が続く。

(4)松並木の掲示板【8:31】

(5)原川松並木の道標【8:32】

何が書かれているのかよく分からない道標だった。

(6)間の宿 原川の掲示板【8:33】

神社の入口にあったもの。間の宿ながら、原川には46件も家があったことが記載されているが、現状を見ていると、売店などで賑わっていたというのが信じられない。

(7)名栗の道標【8:40】

(8)袋井宿の浮世絵看板【8:43】

道沿いの小公園に掲げてあった。(一部剥げている)

一里塚などでは、こうした簡易休息所みたいなところを近所の農民がやっていたのだなあと思うと、のどかな風景の中にも、農民のしたたかさがしのばれる。


(9)
松並木【8:50】

(10)富士浅間宮赤鳥居【8:56】


(11)久津部一里塚【9:05】

江戸からちょうど六十里にあたるそうだ。

(12)どまんなか東小学校【9:06】

袋井宿は江戸から27番目の宿場町なので、「東海道53次どまん中」ということを町のキャッチフレーズにしているようだ。後日確認した袋井市のHPにも強調されていた。

この学校以外にも「どまん中」を付けたものが街道沿いにいくつかあった。

(13)西新屋の道標【9:25】


(14)新屋の秋葉山常夜灯【9:28】

石で造られた灯篭型常夜灯はよく見たが、こうした木造屋型はめずらしい。

(15)市役所前の道標【9:30】

旧東海道の道標で、市役所前という表示はちょっと違和感が・・・

(16)袋井宿と天橋の掲示板【9:34】


(17)袋井宿の道標と「どまん中茶屋」【9:35】

(18)袋井宿東本陣公園【9:39】


(19)
本町宿場公園の再現高札場【9:51】

袋井宿に関連した浮世絵の掲示板【9:53】

こうした掲示板がこれまでも街道沿いにいくつも見られた。すべて「寄贈:***」という表示があり、多くの地元企業の寄付で造られたようだ。


(20)
澤野医院記念館【9:58】

居宅は江戸時代後期、洋館は大正5年、病棟は昭和初期の建築と伝えられるもの。

(21)木原松橋の道標【10:13】

(22)木原一里塚【10:15】

前掲の場所から少し離れた場所にあった掲示板

(23)木原畷(きはらなわて)古戦場【10:18】

許禰神社(こねじんじゃ)に掲げてあった掲示板。

久野城を攻めた武田信玄はここ木原に陣をはり、浜松城を守る徳川家康の偵察隊と衝突したが、この戦いを木原畷の戦いというそうだ。

ちなみに、畷(なわて)とは、田の間の道、あぜ道、まっすぐな長い道を指す。

(24)木原の道標(袋井市)【10:19】

少し先に行くと磐田市に入る。

(25)三ケ野の道標(磐田市)【10:39】

近くに松並木が残っていた。


磐田市のマンホール【10:47】

描かれているのは、市の虫「ベッコウトンボ」。

(26)江戸の古道入口【11:06】

最初、上記の古道の入口を間違えて、この周辺で少し迷ってしまった。

次の写真がその古道で、突き当りが公園になっていて、さらにその次の写真の大日堂がある。

(27)古戦場 大日堂【11:11】


大日堂から先は住宅街。

(28)「立場跡」の看板【11:15】

民家前に立てられていた。


(29)
松並木【12:14】

(30)従是西(これよりにし)見付宿の道標【12:15】

(31)行人坂の掲示【12:16】

このあたりは「行人坂」 と言われ、山伏が多く住んでいて、村の祭り等の社会奉仕をしていたとの事。ちなみに行人(ぎょうにん)とは、仏道を修行する人や山伏のこと。

なお、「こうじん」と読むと、通行人や使者とのこと。日本語はややこしい。

(32)東木戸モニュメント【12:27】

木戸跡の前にあるはずの阿多古山一里塚が見当たらず、念のため、近くの愛宕神社の昭和3年造と書かれた古い石階段を上ってみたら、その社殿のさらに奥に一里塚があった。

(33)阿多古山一里塚【12:34】

次の写真が愛宕神社の社殿で、その左奥の赤矢印が上記の一里塚。

愛宕神社【12:34】

つまり、昔の東海道は、この一里塚がある横を通っていたということで、それだけ今よりも標高が高い山間部だったということでしょう。

(34)見付宿の掲示板【12:42】

(35)見付宿の道標【12:48】

見付本通り広場の入口にあった。

磐田の街並み【12:48】

掲げられている水色の旗は、言うまでもなく「ジュビロ磐田」の旗。

(36)脇本陣大三河屋門【12:49】

(37)姫街道との分岐点【12:53】

姫街道は、浜名湖の北側の本坂峠を経由して東海道見附宿と御油宿を結ぶ脇街道。

(38)西木戸のモニュメント【12:56】

(39)国分寺跡【13:04】

(40)磐田駅【13:20】

本日はここまでで終了。3日間のウォーキングを終了した。

3日間とも風はやや強かったが歩きやすい天候で、街道も昔の雰囲気が残っているところがそこそこ見られてよかった。

歩行時間は、休憩(及び、一部迷走)を含めて、

1日目4時間17分、

2日目6時間33分、

3日目5時間20分、合計16時間10分だった。

以上

 <全体のメインメニューは下記をクリック>


コメント

このブログの人気の投稿

プライベート ミニ リサイタル

旧日光街道6_杉戸宿ー栗橋宿

旧日光街道10_小山宿ー小金井宿