旧中山道31_中津川宿ー大井宿
◆旧中山道_中津川宿-美乃坂本宿-大井宿
2023年9月15日(金)曇り後晴れ
旧中山道の中津川宿-美乃坂本宿-大井宿(恵那駅)間を歩いた。
通常は西行き(江戸から西へ)の順に歩いてきたが、今回は日程の関係で逆向き(恵那から中津川へ)歩いた。しかし、この記録に関しては、従来のように西行き順に記載することにしたので、表記参考時刻は時間を遡っていく形になっている。
(1)中津川駅【11:55】
(2)新町交差点【11:52】
(3)前田青邨画伯生誕乃地碑【11:51】
前田青邨(まえだせいそん)(1885年〈明治18年〉― 1977年〈昭和52年〉)、中津川市出身の日本画家。
大和絵の伝統を深く学び、歴史画を軸に肖像画や花鳥画にも幅広く作域を示した。武者絵における鎧兜の精密な描写は有名。弟子に平山郁夫がいる。
街道風景
(4)中津川宿まち歩きマップ【11:46】
(5)中津川宿脇本陣跡【11:45】
(6)中津川宿本陣跡【11:43】
(7)中津川村庄屋跡【11:42】
(8)常夜灯【11:41】
(9)町並と桝形の説明板【11:40】
(10)道標【11:39】
街道風景
(11)式内恵奈山上道道標【11:38】
(12)はざま酒造【11:38】
慶長六年(1601年)創業とのこと。
(13)中津川と柳の木説明板【11:34】
街道風景
こうした行灯のようなものがあちこちにあった。
(14)道標【11:27】
(15)石塔群【11:26】
(16)道標【11:25】
(17)道標【11:22】
(18)駒場村の高札場跡【11:21】
(19)道標【11:20】
(20)道標【11:19】
(21)東山道坂本駅碑&小手の木坂表示板【11:16】
(22)道標【11:11】
(23)設楽牧童句碑【11:08】
(24)常夜灯&道標【11:07】
(25)双頭一身道祖神&石仏石塔群【11:07】
(26)明治天皇御鳳輦前駆奉仕蹟(めいじてんのう ごほうれん ぜんくほうしあと)碑【11:06】
御鳳輦(ごほうれん)とは天皇が行幸の際に用いられる正式の乗り物のこと。現代では神社の祭りなどに使われる、鳳凰の飾りがある神輿を意味する。
今の感覚では、そんな事でわざわざ碑を作るの?とも思うが、当時としては誇らしいことだったのでしょうね。
(27)上宿の一里塚跡【11:05】
(28)道標(トイレ案内板)【11:03】
(29)道標【11:02】
街道風景
(30)石仏石塔群【10:57】
(31)道標【10:30】
主な分岐点には同じような道標が設置されていた。
街道風景
(32)道標【10:20】
道路上で見かけた「蛇」。山中でもないので驚いた。
(旧中山道では、昨年歩いた「11_横川-坂本宿」でも蛇に遭遇している。(11)項の後に記載。)
(33)道標【10:16】
(34)六地蔵石幢(せきどう)【10:02】
石幢(せきどう)とは、六角または八角の石柱と、仏龕 (ぶつがん) ・笠・宝珠などからなる石塔。
(35)坂本神社八幡宮社標【9:53】
(36)千旦林(せんだんばやし)村高札場跡【9:52】
(37)常夜灯【9:51】
(38)馬頭観音?【9:48】
(39)道標【9:43】
道の反対側にも古い道標があった。
(40)常夜灯【9:39】
(41)弘法大師堂標石【9:38】
街道風景
(42)中平神明神社【9:34】
(43)石仏石塔【9:32】
(44)将監塚【9:29】
(45) 千旦林地下歩道&道標【9:25】
この地下歩道橋が下を横切っている道は、見たところほとんど自動車の通行はなく(私が通った時には1台のみ)、あえて地下歩道にする意味は、多分、今はない。昔はそれなりに通行量が多かったのかもしれない。
(46)坂本立場跡【9:19】
(47)道標【9:15】
各角にあった。
(48)坂本観音堂【9:14】
(49)茄子川(なすびがわ)村の高札場【9:08】
(50)尾州白木改番所跡【9:06】
(51)道標【9:03】
街道風景
(52)長連寺薬師堂【9:02】
(53)坂本神社社標【9:01】
(54)茄子川小休所篠原家【8:59】
(55)道標&秋葉山常夜灯【8:59】
(56)茄子川解説板【8:57】
街道筋の民家
(57)道標【8:56】
(58)茄子川焼説明板【8:46】
(59)道標【8:44】
向かい側には次の中山道碑があった。
(60)馬頭観音【8:43】
(61)広久手坂標石【8:42】
(62)社宮司(しゃぐじ)【8:36】
(63)岡瀬澤永代燈&道標【8:34】
(64)岡瀬沢と濁川解説板【8:33】
(65)庚申塔【8:28】
(66)道標【8:27】
(67)庚申塔【8:25】
(68)甚平坂公園【8:24】
(69)根津神社【8:18】
街道風景
(70)関戸一里塚跡【8:14】
(71)明治天皇行在所御𦾔址&大井鬼子母尊神(おおいきしぼそんじん)石塔【8:11】
(「𦾔」は「旧」の俗字)
近くには次の道標があった。
(72)石仏石塔群【8:08】
(73)菅原神社【8:07】
(74)馬頭観音&大井宿案内板【8:06】
(75)上宿の石仏群【8:03】
(76)山本用水【8:02】
(77)明知鉄道の架道橋【8:02】
(78)題目碑【8:01】
(79)石仏【8:00】
(80)高札場跡(復元高札場)【7:59】
(81)延壽院横薬師【7:58】
(82)大井宿本陣跡【7:57】
側溝の蓋
(83)中山道ひし屋資料館(大井村庄屋古山家)【7:55】
(84)問屋場跡&脇本陣跡【7:54】
(85)明治天皇大井行在所【7:54】
(86)旅籠屋角屋跡(現旅館いち川)【7:52】
(87)旅籠と木賃宿説明板【7:52】
(88)道標【7:50】
(89)白木番所跡【7:49】
(90)道標【7:49】
(91)大井宿説明板&道標【7:48】
(92)大井橋欄干【7:46】
路面のタイル
(93)「中央通1」交差点&道標&中山道説明板【7:45】
(94)恵那駅【7:41】
本日は予定通りここまでで終了。歩行時間は、休憩も含めて4時間14分だった。
久しぶりの4時間超えで、さすがに疲れた一日だった。
本日見付けたマンホールの蓋を以下に示す。
中津川市
「おいでん祭り」で踊られる「風流おどり」と市の花・サラサドウダンが描かれている。
中津川市
公共下水道事業坂本処理区で使用する下水道マンホールの蓋で、一般から募集した39点の中から選出。 中嶋さん(坂本小学校)の「シデコブシ」と「ハナノキ」を描いたデザイン。
恵那市
中央に恵那市の市章と周囲に合併前の旧恵那市の花・ベニドウダンを配してある。
恵那市
歌川広重の浮世絵からのデザイン。
恵那市
四角い二分割蓋。中心に市章、その下に「汚水」の表記、手毬模様に穴が空いたもの。
以上
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