旧中山道38_各務原ー加納宿(岐阜)

◆旧中山道_各務原-加納宿

2023年10月10日(火)曇り

各務原から加納宿(岐阜市)の間を歩いた。

(1) 市役所前の交差点【12:14】

前回の終了地点交差点からスタート

(2)各務原市民公園【12:19】

街道路面にあったタイル

(3)栄町秋葉神社【12:25】


社殿自体としては少し大きめの屋敷神程度しかなく、ちょっと驚いた。

しかしながら、今回の沿線にはこれ以降も同様の小ぶりな祠の「秋葉神社」が数多くみられた。

一方で、今までの旧街道でよく見られた「常夜灯」が、この沿線ではまったく見られないことにも気付いた。

ということは、他の地域で見られる「火伏の神への信仰のシンボル」というべき「常夜灯」と、同じような意味合いで、こうした小さな「秋葉神社」が多く作られたのか、とも思ったのだが・・・?

念のため、先月歩いた区間を見直したら、類似の秋葉神社がやはりあった。

旧中山道35_御嵩宿ー伏見宿の(32)

旧中山道37_鵜沼宿ー各務原の(33)

街道風景

(4)西那珂稲荷神社【12:35】

秋葉神社ではないが、項(3)の神社と同じような小ぶりな社殿だった。

(5)道標&間の宿新加納の標石【12:40】


(6)道標【12:40】

街道風景


(7)日吉神社【12:44】

街道風景

(8)道標【12:45】

蛙が上に載っているのがユニーク。

なぜ蛙なのかに関しては、以下の「かえる伝説」がある。

「日吉神社のひょうたん池に、いつのころからか大きな蛙が住みつき、村人にいたずらをするようになった。村人は、蛙は腹が減って悪さをするのだろうと考えて、池にごちそうを投げ入れた。すると、蛙のいたずらがなくなっただけでなく、薬を届けたり、日照りの日には雨まで降らせてくれた。以来、福蛙として村人に親しまれるようになった。」

(9)一里塚跡&道標&案内板【12:48】



蛙の石像もあった。

(10)高札場&道標【12:49】


「今尾医院」の表示があるが、後日調べたら、今尾氏の先祖は、この地を納めた坪内氏の御典医だったそうだ。

(11)新加那立場説明板【12:50】


(12)道標【12:51】

(13)善休寺寺標【12:52】

(14)間の宿新加納標石【12:57】


(15)中山道道標【13:17】

バス停留所

岐阜市東部を運行するコミュニティバスの停留所。沿線に沿っていくつも見られた。小型の高札場のような形が目を引いた。

「373バス」と書かれてあるが、これは「みなみバス」と呼ばせ、長森南(ながもりみなみ)に由来するそうだ。

なお、「電話ボックス前」という停留所名は、多分、他にはないように思えるが、どうだろうか?

(16)手力雄神社鳥居&道標【13:23】


(17)浄慶寺【13:25】


(18)伊豆神社&馬頭観世音菩薩【13:39】


(19)道標【13:41】

(20)ゑ比寿神社【13:47】



前面左右の常夜灯が独特な形で驚いた。

(21)秋葉神社【13:51】

項(3)の神社と同じような小ぶりな社殿だった。

街道風景

(22)御成道表示板【13:54】

(23)細畑の一里塚【14:05】

道の両側に一里塚があった。





(24)延命地蔵堂&伊勢道追分道標【14:07】


(25)八幡神社【14:09】

街道風景

(26)秋葉神社【14:19】

項(3)同様の小ぶりな社殿の秋葉神社。

(27)茶所駅&中山道加納宿碑【14:24】



(28)鏡岩の碑【14:26】


(29)道標【14:26】

(30)道標【14:27】

側溝グレーチングには街道名が記されていた。

後日調べたら、「御鮨(おすし)街道」とは以下。

尾張藩が支配する長良、小瀬の鵜飼で鮎を捕り、それを岐阜町で「なれ鮨」に加工し、岐阜街道を南下し四ッ谷から美濃路(みのじ)を、熱田からは東海道を通って江戸に送り、尾張藩が幕府などに献上した。そのため、岐阜街道は「御鮨(おすし)街道」と呼ばれている。


(31)加納宿説明板【14:28】

橋の欄干。参勤交代の絵が描かれてある。

(32)道標【14:30】

(33)秋葉神社【14:31】

りっぱな鳥居なのだが、項(3)と同じような小ぶりな社殿。

(34)加納宿東番所跡【14:33】

道標横にベンチがあるのは有難い。どこの街道筋でも座って休める所が非常に少ないので。

(35)善徳寺&道標【14:35】



(36)加納宿道標【14:35】

(37)道標【14:36】

(38)道標【14:37】

(39)専福寺【14:38】


(40)秋葉神社【14:40】
これも、項(3)の神社と同じような小ぶりな社殿。

(41)道標【14:41】

(42)道標【14:41】

この道標前の路面に次の表示が記されていた。

(43)高札場跡【14:43】


(44)加納城大手門趾&道標【14:45】


まちづくり交流センター

街道風景

(45)二文字屋&道標【14:49】

元和6年(1620年)創業の旧旅籠「二文字屋」跡



(46)当分本陣跡【14:50】

(47)道標【14:50】

(48)道標【14:51】

(49)西問屋跡【14:56】


(50)脇本陣跡【14:57】

(51)道標【14:57】

(52)脇本陣跡【14:59】


(53)道標&岐阜駅前交差点【15:01】

休憩を含めた本日の歩行時間は、2時間47分だった。

以上

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