旧日光街道7_栗橋宿ー古河宿
◆旧日光街道 栗橋宿-古河宿
2023年11月15日(水)曇り
栗橋宿と古河宿間を歩いた。駅名でいうと南栗橋駅から古河駅間。
(1)南栗橋駅【8:06】
(2)分岐点【8:16】
街道風景
(3)庚申塔【8:26】
なぜか、接している道には背を向けて(背面を見せて)建っていた。
(4)高架橋【8:29】
街道風景
(5)分岐点【8:36】
(6)川通神社【8:37】
(7)会津見送り稲荷【8:45】
(8)道標【8:46】
(9)高架橋【8:50】
(10)道標【8:51】
(11)道標【8:54】
(12)炮烙(ほうらく)地蔵【8:54】
街道風景
(13)顕正寺【8:58】
(14)道標【8:59】
屋敷神?
街道沿いの民家(商家?)
(15)栗橋関所跡【9:08】
(16)八坂神社【9:13】
工事中で近づくこともできなかった。
(17)利根川橋【9:19】
(18)市境(県境)表示【9:21】
(19)分岐点【9:28】
(20)房川渡と中田関所跡【9:31】
(21)中田宿解説板【9:34】
手前にある箱には、記念スタンプが入っている。この先の説明板の横にもあった。
(22)鶴峯八幡宮【9:40】
(23)光了寺【9:42】
(24)本願寺【9:45】
(25)日光街道踏切【10:38】
(26)松並木【10:39】
松は道の両側にあるが、松自体が小さいのがちょっと残念。最近植えられたのだろうか?
(27)中田の松原説明板【10:42】
(28)香取神社【10:45】
街道風景。しばらくはイチョウ並木が続く。
(29)十九夜塔【11:20】
(30)祭禮道道標【11:28】
江戸時代、古河城下の総鎮守“雀神社(お雀さま)の大祭は、12日間続く盛大で厳粛なお祭りとして執り行われた。ご神体はその間御仮屋に安置されたが、この期間中、旅人は御神体の前を通行することは許されず、参勤交代の大名行列もこれをはばかり、この間は、迂回路として「祭禮道」を通行しなければならなかった。この石碑はその場所を示しているもの。
(31)灯篭型道標【11:29】
(32)浄善寺【11:32】
(33)灯台モニュメント&松並木説明板【11:35】
(34)庚申塔&稲荷神社【11:37】
(35)長谷観世音道標【11:38】
街道風景
灯篭型説明板。しばらくの間、同じタイプの説明板がいくつも設置されていた。
(36)古河城御茶屋口門址【11:42】
(37)古河藩使者取次所址【11:45】
(38)高札場址【11:56】
(39)本陣址【11:57】
(40)駅前交差点【11:58】
今回は予定通りここまでとした。歩行時間は休憩等を含めて3時間52分だった。
今回出会ったマンホール蓋は次の2点。
埼玉県久喜市栗橋地区(旧栗橋町)
中央に旧栗橋町章、町の花・サルビア、鳩と鯉とケヤキの葉のデザイン。
八坂神社の祭神、素盞鳴命(スサノオノミコト)の像が、洪水の時に鯉と泥亀に守られてこの地に流れ着いたので、鯉と亀がこの神社の神使と されていることと、神社に樹齢300年のケヤキがあることから鯉とケヤキの葉が描かれた。
茨城県古河市
渡良瀬川に架かる国道354号線の、三国橋周辺の河畔で行われる花火大会の風景をデザインしたもの。
以上
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