墨俣(すのまた)城 散策
◇墨俣城 散策
2024年3月9日(土)
「墨俣一夜城伝説」で有名な墨俣城(すのまたじょう)を散策した。
河川改修が進んだ結果、墨俣城の痕跡の大半が今では川底に沈み、遺構は残されていない。よって今回散策した「墨俣城」は、1991年(平成3年)に「大垣城」(岐阜県大垣市)の天守を模して造られた「墨俣一夜城歴史資料館」。
豊臣秀吉による「墨俣一夜城伝説」は、今では江戸時代に創作された架空の物語という説が有力。しかし、墨俣が交通や軍事上の要衝の地であったのは確かであり、小牧・長久手の戦いの際に豊臣秀吉が墨俣城の改修を命じた記録が残されている。
「墨俣一夜城伝説」によると、墨俣城は「織田信長」が美濃国の戦国大名「斎藤龍興」(さいとうたつおき)を攻略する際に造らせた城で、「佐久間信盛」や「柴田勝家」が失敗したあとに名乗り出た豊臣秀吉が、500人の兵で7日間あれば墨俣に砦を築けると宣言して、実際に完成させたとされている。
短期での築城を可能にしたのは、現在のプレハブ工法に似ており、墨俣で何もかも作るのではなく、別の場所で作った部品を墨俣に運んで迅速に組み立てたとされている。
(これが架空の創作話だとすると、こうした短期間での築城の実例が、どこかにあったのだろうか?)
以上
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