柴又帝釈天 参拝散策

 ◇柴又帝釈天 参拝散策

2024年5月22日(水)曇り時々晴れ

旧水戸街道を歩いた時に立ち寄った。



 柴又帝釈天(しばまたたいしゃくてん)は、正式には経栄山題経寺(きょうえいざん だいきょうじ)と号し、創建は江戸時代初期の寛永6年(1629年)。

帝釈天の「板本尊」は片面に「南無妙法蓮華経」の題目と法華経薬王品の要文、片面には右手に剣を持った帝釈天像を表したもの。

天明3年(1783年)、題経寺の中興の祖とされている9世住職の亨貞院日敬(こうていいんにっきょう)という僧が、自ら板本尊を背負って江戸の町を歩き、天明の大飢饉に苦しむ人々に拝ませたところ、不思議な効験があり、それから柴又帝釈天への信仰が広まったと言われている。

20世紀後半以降は、人気映画シリーズ『男はつらいよ』の渥美清演じる主人公・車寅次郎(寅さん)ゆかりの寺として知られるようになる。

ちなみに、寅さんシリーズがまだ公開されていた約35年前に一度訪れているので、今回は2回目。





























(追記1)

柴又駅は「京成高砂-柴又-京成金町」の三駅しかない「京成金町線」の駅。本日乗ったその路線の電車では、昔懐かしい「扇風機」が天井で回っていたので、思わず撮影した。

(追記2)

「柴又」という地名に関して調べてみた。

歴史上初めて「葛飾柴又」が登場するのは西暦721年(奈良時代)で、葛飾郡大嶋郷は甲和、仲村、嶋俣という三つの集落で構成されていた。以後「嶋俣」の地名は多くの文献に見受けられ、永禄2年(1559年)の小田原衆所領役帳において初めて「柴俣」(しばまた)が登場する。近代に入り、南葛飾郡柴又村と号したが、ほどなくして同郡金町村と併合して同村の一字となった。1932年(昭和7年)に東京市に併合され、葛飾区柴又町と名乗った。

つまり、嶋俣 → 柴俣 → 柴又 という変遷があったようだ。

以上

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