旧中山道43_柏原宿ー番場宿
◆旧中山道_柏原宿-番場宿
2024年6月12日(水)晴れ
番場駅から柏原宿の間を歩いた。いままで西行(江戸から京方向)に歩いてきたが、今回は日程の関係から逆向きの歩き(番場から柏原)となった。ただ、記録に関しては、従来通りの西行で表示する。
(1)柏原駅【11:15】
(2)分岐点【11:14】
前回の終了地点。ここから旧中山道。
これ以降しばらくの間、短い間隔で多くの史跡が見られるので、地図上では、項(3)として一括表示する。
小祠【11:12】
(7)旧郷宿【10:59】
一般に村の世話方などが訴訟や裁判などの公務で城下町や陣屋などへ行った際の定宿を「郷宿」と称している。ただ、柏原宿では、書院や庭園を伴う上級の旅籠屋を郷宿と称したようである。
(13)掃除丁場と並び松【10:44】
(17)番の面(ばんのおもて)遺跡【10:32】
近畿地方で初めて縄文時代の竪穴住居跡が見つかったことで有名。
(20)黒谷遺跡(くろだにいせき)【10:29】
後日調べたが詳細不明。左の自然石道標には「左中仙道」と記されている。
(24)慈円寺【10:19】
街道風景
(28)小祠【9:54】
(35)佛心水【9:43】
(42)地蔵堂【9:35】
(45)明治天皇御駐輦(ちゅうれん)所碑【9:28】
(50)松尾寺道標【9:18】
(51)小祠【9:17】
柏原駅と同様の、米原市シルバー人材センターに乗車券発売業務を委託している駅で、窓口ではきっぷの販売を行っている。2018年時点での一日平均乗車人員は376人。
(53)分岐点【8:59】
(54)一類孤魂等衆の碑【8:58】
説明文を読んでも「一類孤魂等衆」というのがどういう意味なのかよく分からない。仏教の法話にでも出てくるのか?
(55)壬申の乱・よこかわの古戦場跡【8:57】
(56)小祠【8:47】
街道風景
(57)道標【8:51】
(58)地蔵堂【8:40】
(59)徳法寺【8:46】
(60)道標(河南)【8:45】
街道風景
(61)樋口の地蔵堂【8:33】
(62)道標【8:39】
街道風景
(63)地蔵堂【8:33】
(64)長屋門【8:30】
(65)敬永寺【8:29】
(66)案内図【8:28】
(67)道標【8:27】
(68)九禮の一里塚碑【8:25】
街道風景
(70)問屋場跡【8:17】
(71)道標【8:17】
(72)番場宿標石【8:16】
説明文を読んでも「一類孤魂等衆」というのがどういう意味なのかよく分からない。仏教の法話にでも出てくるのか?
(59)徳法寺【8:46】
(63)地蔵堂【8:33】
記載内容は以下
「九禮の一里塚 江戸へ約百十七里(四五九・五キロメートル)京三条へ約十九里(七四・六キロメートル) <中略> 九禮の一里塚には右側には「とねり木」左側には「榎」が植えられていました。」
(69)道標【8:23】
旧中山道としてはここで一旦終了。
(73)番場バス停【8:15】
予定通り今回はここまで。本日の歩行時間はちょうど3時間だった。
本日出会ったマンホールの蓋は以下の一点。
滋賀県旧山東町(さんとうちょう)
三島池のマガモと、天の川のゲンジボタルが描かれている。
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