旧水戸街道6_龍ケ崎ー牛久

◆旧水戸街道_龍ケ崎-牛久-ひたち野うしく

2024年11月7日(木)晴れ

旧水戸街道の龍ケ崎から牛久宿を通ってひたち野うしく駅まで歩いた。

 (1)龍ヶ崎市駅【10:55】


(2)分岐点【11:02】
ここから旧水戸街道に入る。

(3)小祠【11:05】

(4)南中島踏切【11:07】


(5)道標(若柴駅<宿>街道の碑)【11:12】


街道風景


(6)大坂の掲示板【11:24】


街道風景

(7)八坂神社【11:26】




若柴宿は、前後の藤代宿、牛久宿の両宿場から一里(約4キロ)と近いことから、本陣は置かれていなかった。

(8)延命寺坂の掲示板【11:28】

(9)屋敷門【11:29】


街道風景

(10)薬師寺跡の掲示板【11:32】

(11)仲宿坂の掲示板【11:32】

(12)金龍寺&観音寺跡【11:35】



街道風景

(13)星宮神社【11:43】





街道風景

(14)分岐点【11:52】

街道風景


(15)小祠【12:00】

(16)成井一里塚【12:05】



街道風景



(17)分岐点【12:26】

街道風景

(18)分岐点【12:29】

(19)分岐点【12:32】
本来の旧水戸街道はこのまま真っすぐ行くようだが、通行止めで行けない。左に進んで迂回する。


(20)銅像山踏切【12:35】



(21)分岐点【12:42】

(22)下野坂下橋【12:44】
欄干に河童の絵が描かれている。

街道に出てきたカマキリ

(23)観成院石碑【12:49】

(24)芋銭河童碑道【12:55】
芋銭とは画家:小川芋銭(おがわ うせん):1868年〈慶応4〉~ 1938年〈昭和13年〉。
生涯のほとんどを牛久沼のほとり(現在の牛久市城中町)で農業を営みながら暮らした。画号の「芋銭」は、徒然草の中にある芋食和尚にちなんだものであり、「自分の絵が芋を買うくらいの銭(金)になれば」という思いによるという。
身近な働く農民の姿等を多く描いたが、水辺の生き物や魑魅魍魎への関心も高く、特に河童の絵を多く残したことから「河童の芋銭」として知られている。
牛久沼のほとりに晩年建てたアトリエ「雲魚亭」の近くに「河童の碑」が建てられているが、そこへ行く道標がこの碑。

(25)明治天皇牛久行在所【12:57】

街道風景

(26)牛久宿本陣跡【13:00】
駐車場の入口に説明板のみあった。


(27)正源寺【13:01】








(28)宮崎利兵衛商店【13:07】
慶応4年(1868)創業。元々は酒屋さんであったが今は酒以外の商品も。

街道風景
「駐車場 おおきな木の隣」との表示が。


(29)忠魂碑【13:13】

(30)小祠【13:15】

牛久駅前のショッピングモールの中の休憩所にあった「無事カエル」。

(31)小祠【13:39】

(32)田宮山薬師寺【13:44】

(33)分岐点【13:49】


(34)牛久成田山真浄寺【14:14】


(35)市民の木【14:18】


街道沿いの日本家屋

(36)仏像群【14:22】


街道風景(金物店の看板)

(37)町境標識【14:13】

(38)ひたち野うしく駅西入口交差点【14:42】
旧水戸街道はここで一旦終了。本日の歩行時間は休憩を含めて3時間47分だった。

(39)ひたち野うしく駅【14:45】

途中で出会ったマンホールの蓋を以下に示す。

茨城県牛久市
茨城県牛久市の南西には、昔からかっぱが住むと言われている牛久沼がある。郷土の画家、小川芋銭がよく描く対象もかっぱ<項(24)>。そこから平成元年に生まれた牛久市観光協会のマスコットキャラクター「かっぱのキューちゃん」が描かれている。右下には水連の葉とカエルも描かれている。



茨城県県南部
毘沙門亀甲模様に青色で「水」「空気弁」の表示があり、周囲は「火」の字をデザイン化。水道空気弁マンホール蓋
以上

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