旧結城街道5_笠間宿ー大足宿

◆旧結城街道 笠間宿-大足(おおだら)宿

2025年4月18日(金)曇り

旧結城街道の笠間宿から大足(おおだら)宿までを歩いた。

大足を「おおだら」と読む由来については諸説あるそうだ。

1.戦国時代の文書にも大足村とあるそうで、古代に勢力のあったこの地に住んだ部族にちなんだ名前という説。

2.関東に広く分布するダイダラボウの伝説に由来しているという説。

3.日本武尊の父親とされる景行天皇の和名「大足彦忍代別尊」(オオタラシヒコオシロワケノミコト」からきているという説。

ダイダラボウの伝説:大昔このあたりにいた大男のダイダラボウは、村人からの依頼で、田に陽があたるように、村の南にある山を持ち上げて、村の北側にその山を移した。それが笠間市と水戸市と城里町の境にある「朝房山(あさぼうやま)」とのこと。

(1)笠間大橋【12:21】

前日の終了地点。ここから旧結城街道歩きを再開。

(2)笠間稲荷神社大燈籠【12:16】

(3)笠間稲荷神社【12:06】

<ここで撮影した写真は、史跡の項の「笠間稲荷神社」に掲載した。>



街道(参道)風景

(4)歴史交流館【11:58】
江戸時代天保年間(1830~43)に創業した元井筒屋旅館。
明治中期の建築で木造三階建ての旧井筒屋本館は東日本大震災で被災したため、建築当時の雰囲気を残しつつリノベーションを施し、平成30年4月1日に歴史交流館としてオープン。
(5)八坂神社【11:55】

(6)月崇寺【11:53】

街道風景

(7)三所神社【11:51】

(8)真浄寺【11:47】


(9)分岐点【11:39】

(10)笠間焼の大壺【11:25】

笠間焼(かさまやき)は江戸時代中期の安永年間(1770年代)から作られ始め、現在では笠間は300人に近い陶芸作家や窯元のいる窯業産地となっている。関東地方では益子と並ぶ大きな窯業産地として知られているそうだ。

(11)長屋門【11:22】

(12)馬頭尊【11:22】

(13)北向地蔵尊&二十三夜塔【11:20】

(14)天満宮【11:11】


(15)二十三夜塔【11:10】

(16)高架橋道路【11:08】

街道風景。
ここから次の分岐点まではラブホテルが集まっていた。

(17)分岐点【11:01】

街道風景


(18)分岐点【10:50】

(19)分岐点【10:46】

(20)分岐点【10:44】

(21)分岐点【10:39】

(22)長屋門【10:38】

街道風景

(23)六地蔵のろうそく立て?【10:33】
街道風景

(24)水戸道の道標【10:31】
割れて建物に立てかけてあった。

(25)分岐点【10:30】

(26)分岐点【10:27】


(27)分岐点【10:01】

(28)石仏石塔群【9:58】




(29)分岐点【9:55】

(30)明治天皇和尚塚蹕之地(ちゅうひつのち)?【9:40】
桜ノ宮ゴルフ場の入口にあった碑。碑面の記載事項の下部がよく読み取れない。後日調べると、現在の桜ノ宮ゴルフ場の中に和尚塚と明治天皇行幸記念碑があるとのこと。

旧結城街道はこのゴルフ場の中を通っているようなのだが、私有地に勝手に侵入するわけにもいかず、今回はその脇を走る国道50号を進んだ。
街道風景


(31)三軒屋交差点【9:24】
街道風景

(32)長屋門【9:07】


(33)八坂神社&仏塔仏像群【9:05】



街道風景

(34)有賀神社社標【8:52】

(35)大足交差点【8:47】
旧結城街道としてはここで一旦終了。

(36)大足バス停【8:46】

ここまでで終了。歩行時間は休憩も含めて3時間35分だった。

本日出会ったマンホール蓋は以下。

茨城県旧友部町
(旧友部町は、旧笠間市、岩間町と合併して新笠間市となった。)
四分割した盤面の中央に友部町の町章を中心とした茨城県の地図。その外側に、「キク」と「アヤメ」がそれぞれ点対称に配置されている。「キク」は旧・友部町の花であった。

茨城県笠間市
笠間市の市の木「サクラ」、市の花「キク」、市の鳥「ウグイス」を描いたマンホール蓋。

茨城県水戸市
偕楽園の「好文亭」を描いた丸型消火栓の蓋。

茨城県水戸市
デザインは、市の木「ウメ」。
以上

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