旧北陸街道24_長浜-米原-鳥居本
◆旧北陸街道_長浜-米原-鳥居本
2026年10月14日(水)小雨のち晴れ時々曇り
(1)分岐点【9:17】
ここから旧北陸街道歩きを再開。
(2)下村藤右衛門邸碑【9:17】
下村藤右衛門は、江戸時代に自治を担った「長浜三年寄」(本町の下村家、呉服町の安藤家、舟町の吉川家)の一つであり、ここにあった下村藤右衛門家の屋敷は、明治4年(1871年)に県内初の小学校「滋賀県第一小学校」(現在の長浜市立長浜小学校の前身)が置かれた歴史的な場所。とのこと。
前項の写真に写っている特徴的な建物(八間四面、三階建、四階櫓づきの洋風建物)が校舎の一つ。
街道風景
街道風景
(9)成田美術館【9:29】
近代ガラス工芸家の中で、世界で五本の指に入るルネ・ラリックの作品を収蔵・展示する関西唯一の美術館。
(12)平方浜地蔵【9:39】
最初はバスの待合室か集会所かと思って通り過ぎるところだった。
(15)良疇寺(りょうちゅうじ)【9:49】
長浜びわこ大仏があることから、別称として「びわこ大仏」とも呼ばれる。
(18)さいかちの木と常夜灯【9:54】
(19)皀莢橋(さいかちばし)【9:56】
前項の「さいかち」のように、かつてこの付近の湖岸(さいかち浜)に多く自生していたマメ科の落葉高木である「サイカチ(皀莢)」の木にちなんで名付けられた。
街道風景。
奥に見えるのは長浜ドーム(正式名称:滋賀県立長浜ドーム)で、屋内スポーツ施設。
2015年から長浜バイオ大学を運営する関西文理総合学園が命名権を取得し、2019年3月まで「長浜バイオ大学ドーム」の愛称が使用されていた。2025年に滋賀県民共済生活協同組合が命名権を取得したので、2030年3月まで「県民共済ドーム長浜」の愛称が使用されている。
(28)地蔵堂【10:53】
(29)坂田駅&コミュニティハウス【11:35】
JR北陸本線の駅で、2024年度の一日平均乗車人員は574名の無人駅。
次の二枚の写真は、駅舎ではなく隣接しているコミュニティハウス。
コミュニティハウスの前には「愛馬に乗った一豊公と千代夫人像『なでしこ』」がある。
これは、2005~2006年の大河ドラマ「功名が辻」にちなんで地域住民などからの寄付金で作られたもの。
(30)分岐点【11:43】
街道風景(32)智恵大師【11:54】
(35)寺標?【12:03】
詳細不明。正面に見えるのはJR北陸本線。
街道風景
街道風景
(39)分岐点【12:20】
近くに横断歩道などはなく、ここで道を渡った。
(40)分岐点道標【12:25】
この道標は、旧中山道へ向かう分岐という意味の道標で、中山道の番場宿で分岐する脇道(いわゆる米原道)との合流地点。旧中山道と旧北陸街道の直接の合流点(分岐点)は、項(48)の鳥居本宿の地点。
現米原駅の近くにあった米原湊は、琵琶湖を利用する物流の拠点だったので、旧中山道を利用した人々も、そちらへの近道として旧米原道を盛んに利用したと思われる。
向かい側にあった小祠
街道風景
(42)角田家住宅【12:29】
江戸幕末期(1830~1868)建造、木造2階建、瓦葺、建築面積194㎡の、近世の米原宿の面影を伝える大型町家。登録有形文化財(建造物)。
街道風景
中山道の鳥居本宿と番場宿の間にあるのが摺針峠(磨針峠)「すりはりとうげ」。峠から琵琶湖を望む風景は中山道随一といわれていた。その峠の傍らには「望湖堂」という茶屋があった。その碑。
(48)分岐点道標【13:18】
ここで旧北陸街道歩きは終了。
本項と前項の場所は2024年3月10日に訪れている。
旧中山道_44.番場宿-高宮宿の(24)と(25)。
(49)フジテック前駅【13:25】
近江鉄道本線(彦根・多賀大社線)の駅。2006年(平成18年)3月に開業した駅で、エレベーター大手製造会社のフジテック本社が移転したことに伴って開設された。現在は無人駅。2022年の1日の平均乗降客数は195人。開業時は600人以上はいたが、コロナ禍で一気に減少し、その時期に車通勤になった人がそのまま電車通勤には戻ってこなかったようだ。
今回出会ったマンホール蓋は以下。
滋賀県旧近江町
町の木(モクセイ)、町の花(サツキ)、繭(まゆ)をモチーフし、 それぞれ O・M・I を模っており、繭については「近江」を表現している。上方の「町章」は「近」の文字を図案化したもので、町の平和と団結をあらわし、あわせて飛躍発展を端的にシンボル化したものとのこと。
滋賀県旧米原町(まいはらちょう)





































































































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