旧中山道15_望月-和田(1)

 ◆旧中山道_望月-和田 その1

2021年11月17日(水)曇り時々晴れ

旧中山道の歩き旅。今日は望月から和田の間を歩いた。

休憩を含めた歩行時間は、合計5時間55分だった。

2回に分けて掲載する。今回は「その1」。

 

前日の終了地点、大伴神社前を8:32に出発。

(1)大伴神社【8:32】

この後しばらく特に史跡はない。

途中で脇道に入るが、道筋には多くの道標があったので迷うことはなかった。

(2)道標【8:34】

(3)道標【8:39】

(4)道標【8:40】

街道風景

(5)道標【8:42】

(6)道標【8:42】

街道風景

(7)道標【8:44】

(8)道標【8:46】

(9)御巡見(じゅんけん)道標【8:51】

江戸幕府は諸国の大名・旗本の監視と情勢調査のために巡見使(じゅんけんし)を派遣した。その通行道標。

(10)石仏【8:55】

(11)道標【8:58】

(12)茂田井宿道標【8:58】

茂田井は間の宿(あいのしゅく:宿場と宿場の間に成立した休憩用の施設)


(13)茂田井宿入口【9:00】


道標【9:02】

(14)神明社【9:07】

階段の入口の雑草が酷いので、上るのは断念した。

下から見上げた神明社

街道風景

(15)叶屋かのうや(武重本家酒造)【9:11】

(16)道標&牧水歌碑【9:11】


(17)蔦屋つたや(大澤酒造製造)【9:13】

(18)下組高札場跡【9:14】


(19)茂田井宿休憩所【9:16】

「雪隠」があった。

(20)説明板&道標【9:18】

(21)馬頭観音【9:21】

(22)道標【9:23】

(23)上組高札場跡【9:24】

(24)石割坂【9:25】


(25)道標【9:25】

(26)一里塚跡【9:26】

(27)道標【9:33】

(28)芦田宿入口【9:42】

(29)道祖神【9:46】

街道風景

(30)道標【9:49】

(31)休憩所&蓼科の水【9:49】



(32)
ふるさと交流館【9:50】

(33)脇本陣山浦家【10:03】

(34)本陣土屋家住宅【10:03】



(35)
酢屋茂【10:04】

1892(明治25)年創業の酢の醸造元。今は味噌や醤油を伝統的製法で作っているという。

(36)庄屋山浦家跡地【10:05】


(37)
金丸土屋旅館【10:05】

江戸期から続く旅籠宿で、今も営業されている。

(38)双体道祖神【10:12】

(39)道標&石打場公園【10:14】




(40)
常夜灯&道標【10:20】



(41)
馬頭観音?【10:20】

(42)双体道祖神【10:21】

(43)笠取峠のマツ並木標石【10:21】

街道風景

(44)保科五無斎の歌碑【10:25】

本名保科百助。現立科町生れの明治時代の教育者、鉱物学者、奇人とのこと。

書かれているのは狂歌。

(45)馬頭観音と説明板【10:26】

街道風景

(46)馬頭観音【10:28】

(47)若山牧水歌碑【10:29】

「老松の 風にまぎれず啼く鷹の声かなしけれ 風白き峰に」

(48)和宮東下行列の銅板碑【10:30】

(49)松並木の掲示板【10:30】



(50)
吉村煙嶺句碑【10:32】

(51)小諸藩領界石【10:34】

文化三年(1806年)小諸藩が建てた領界石を復元したもの。

(52)常夜燈&道祖神【10:34】

(53)道標【10:35】

(54)松並木の表示板【10:36】

(55)笠松峠のマツ並木碑【10:39】

街道風景

しばらく国道142号線を歩く。

歩道も整備されているが、意外と登り勾配がきつい場所が続いた。

(56)一里塚&双体道祖神【10:58】




(57)
笠取峠道標【11:02】

(58)道標&道祖神【11:05】



(59)
学者村案内碑【11:06】

研究施設がある地区かと思ったが、そうではなくて長和町直営の別荘地とのこと。

以降は「その2」に掲載する。

<全体のメインメニューは下記をクリック>

<https://sites.google.com/view/slowly-walker>

 以上


コメント

このブログの人気の投稿

プライベート ミニ リサイタル

旧日光街道6_杉戸宿ー栗橋宿

旧日光街道5_粕壁宿ー杉戸宿