七里の渡跡散策
◇七里の渡跡散策(三重県桑名市)
2015年11月12日(木)薄曇り
近くまで来たので、三重県桑名市の七里の渡跡(しちりのわたしあと)を散策した。
七里の渡しは宮宿(名古屋市熱田区)から桑名宿までの、旧東海道に二か所ある海上路の一つで、移動距離が七里であったことに由来するという。(もう1か所は浜名湖の今切の渡し)
なお、2019年4月3日に「旧東海道28_万場-桑名(佐屋街道)」を歩いた時に改めて訪れている。https://yukkuriarukou.blogspot.com/2022/11/blog-post_21.html
当日は早朝に桑名駅を出発し、次の地図の緑→赤→青の経路で散策した。この中の赤の経路が旧東海道を再整備された道路。
桑名駅を出発したのは朝6時50分。
最初の目標の鍛冶町の標識(地図の①)に向かう。ちょっと分かりにくく、近くで少し迷ったが、7時5分には到着。
①鍛冶町の標識<7:05>
ここから旧東海道を「渡し」に向かって北上する。
旧東海道はベージュ色の舗装路に整備されていて、途中にはちょっと大きな仏壇屋や石屋があるのが目立った。
曲がるところにくると次のような東海道の標識があった。
②途中の標識<7:09>
少し行くと、「歴史を語る公園」に出るのでそこで左折。
道に沿って整備された小公園で、中には江戸日本橋から京都三条大橋に至る東海道五十三次をモチーフにしたミニチュアが設置されている。
③「歴史を語る公園」の横の道の紅葉<7:12>
そのまま真っ直ぐ進むと、渡し場跡に出る。
④七里の渡し跡の標識<7:19>
写真では木に隠れて分かりにくいが、右端が大鳥居で、これより伊勢路に入ることから「伊勢国一の鳥居」と称され、伊勢神宮の遷宮ごとに建て替えられていたそうだ。
⑤七里の渡し跡の案内板<7:21>
写真の左に見える城のようなものは蟠龍櫓(ばんりゅうやぐら)。桑名城の櫓の一つで、航海安全の守護神としてここに置かれ、東海道を行き交う人々が必ず目にする桑名のシンボルだったとか。
帰ってから調べて知ったのだが、旧東海道の中で旅籠屋数の最も多いのは宮(熱田)で、幕末頃には248軒あり、次いで多いのは桑名宿の120軒だったとか。
なお、この場所と川岸の間には新しい堤防が建てられていて、水面やその向こう岸の光景などはここからは見られない。無論、港としての機能も全くない。
若干興醒めではあるが、伊勢湾台風(1959年(昭和34年))以後の高潮対策ということでいたしかたがない。
堤防の上までは行けるので、そこから川岸や向こう岸をちょっと見学し、さらに隣接する九華公園(きゅうかこうえん)に行く。桑名城の本丸跡と二の丸跡に造られた公園。
⑥九華公園<7:28>
その後、地図に示す青い線のルートで桑名駅に戻った。
桑名駅に着いたのは8時ちょうど。1時間10分の散策となった。
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