富士塚巡り7_中山道沿い富士塚

◆中山道沿い富士塚

 旧中山道と旧川越街道&児玉往還を歩いたが、途中でいくつかの富士塚に出会った。それらをまとめて以下に記載する。但し、単に「浅間山古墳」や「浅間神社」と呼ばれていて、特に「富士塚」とは呼ばれていないものも、今回の中に含まれている。

(1)浅間山古墳(せんげんやまこふん)

埼玉県児玉郡上里町神保原 高さ6m

(旧中山道 本庄宿)2019年11月9日(土)

旧中山道6_深谷ー神保原の(42)

<https://yukkuriarukou.blogspot.com/2022/02/blog-post_6.html>

古墳時代の末期、7世紀~8世紀初頭まで墓として使用されていたと考えられている古墳で、直刀や鉄鉾などが出土している。中腹に祠があった。


石室開口部廻りは金属製で明らかに後世の造作。開口部の中はよく見えなかったが、ネットには次のような写真があった。


(2)浅間山古墳

高崎市倉賀野町   高さ14m

(旧中山道 倉賀野宿)2019年12月4日(水)

旧中山道7_神保原ー高崎の(64)

https://yukkuriarukou.blogspot.com/2022/02/blog-post.html>

4世紀末から5世紀初頭頃の築造と推定される前方後円墳。

群馬県内では太田天神山古墳(太田市)に次ぐ第2位で、関東地方では太田天神山古墳、舟塚山古墳(茨城県石岡市)に次ぐ第3位の規模の古墳。


高崎市のHPに上空からの写真があったので、以下に示す。


(3)板橋氷川富士

東京都板橋区氷川町21-8 高さ2m

(旧中山道、旧川越街道 板橋宿)2020年2月11日(火)

旧川越街道1_板橋ー新座の(2)

https://yukkuriarukou.blogspot.com/2022/02/blog-post_2.html>

氷川神社の境内に富士塚が現存し、板橋氷川富士と呼ばれている。1847(弘化4)年銘の奉納碑などから、板橋区内の富士塚では唯一江戸時代に築山されたと考えられているそうだ。


(4)下練馬富士

東京都練馬区北町2-41-2 高さ8m

(旧川越街道 下練馬宿)2020年2月11日(火)

旧川越街道1_板橋ー新座の(19)

https://yukkuriarukou.blogspot.com/2022/02/blog-post_2.html>

北町浅間神社内にある。区内最大規模の富士塚で、明治初年に築造されたというが、文政五年(1822年)の石碑があることから、江戸時代すでにその原型があったと思われるとのこと。


(5)浅久保富士

埼玉県和光市中央1丁目322 高さ3m

(旧川越街道 白子宿)2020年2月11日(火)

旧川越街道1_板橋ー新座の(37)

<https://yukkuriarukou.blogspot.com/2022/02/blog-post_2.html>

民家(公民館らしい)の横の細い脇道を入っていく。あまり高くはないが本格的な富士塚で、多くの石像が見られる。ただ、登山道はコンクリートで固められていて、あまり古いものではないようだ。後日調べたら、1873年(明治6年)築造とのこと。

丸に吉のマークが見えるのは、丸吉講(まるきちこう)の碑。丸吉講は、江戸時代後期から明治時代に、現在の埼玉県新座市周辺で隆盛した富士講の一講社。


(6)仙波浅間神社&浅間神社古墳

川越市富士見町21 高さ5m

(旧川越街道 川越宿)2020年11月15日(日)

旧川越街道2_新座ー川越の(22)

<https://yukkuriarukou.blogspot.com/2022/02/blog-post_9.html>


上記には「近隣の多くの村が講を作り寄進した」と書かれており、これは「富士講」のことだと思われる。

次の写真は富士山の噴火口を模したもの。今まで訪れた富士塚では見たことがなかった。



左端の石塔には丸吉講(まるきちこう)と思われる吉の字が見える。



(7)
雀の森氷川神社&富士塚

川越市新宿1-22-5 高さ3m

(旧川越街道 川越宿)2020年11月15日(日)

旧川越街道2_新座ー川越の(23)

<https://yukkuriarukou.blogspot.com/2022/02/blog-post_9.html>

雀ノ森氷川神社は旧新宿(あらじゅく)村の鎮守であり、「雀ノ森」は「鎮めの森」の意ではないかと言われている。

91日の夜に雀ノ森氷川神社の境内社である浅間神社で行われる火祭り「新宿雀ノ森のお焚き上げ(あらじゅくすずめのもりのおたきあげ)」は市指定文化財となっている。

当日は、白装束の行者が境内にある富士塚に登って「身禊祓(みそぎはらえ)」という祝詞を読み上げ、さらに仮宮に移動して「富士山御伝(おつたえ)」を読み上げる。

同地区では富士講が盛んで、かつては山梨県富士吉田市の北口本宮冨士浅間神社への代参を、毎年のように行ってきたとのこと。

「お焚き上げ」はこの富士講に関連する行事であり、北口本宮で行われる「吉田の火祭り」を模して、明治18年(1885)に始めたものという。


頂上から見た参道(山道)。コンクリートで綺麗に整備されているのが、ちょっとザンネン。


(8)富士浅間神社

藤岡市藤岡宮本町1152の1 高さ5m

(旧児玉往還 藤岡宿)2022年6月25日(土)

旧児玉往還7_藤岡ー山名の(6)

<https://yukkuriarukou.blogspot.com/2022/06/blog-post_30.html>


上記の説明にあるように、江戸時代にはこの神社を中心に「冨士講」が盛んだったとのこと。また「藤岡」の地名はこの神社名に由来し「富士岡」が変じて定まった。


入口に「登山三十三度」の石碑もあった。







(9)小前田富士塚【15:01】

埼玉県深谷市小前田1205 高さ3m

(旧児玉往還 小前田宿)2021年10月27日(水)

旧児玉往還5_奈良梨ー用土の(26)

<https://yukkuriarukou.blogspot.com/2021/11/blog-post_24.html>

調べたら明治41年(1908年)の築造だそうだ。





以上

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